大西成明先生インタビュー

2012年9月22日 | category: Teaching Staff


写真専攻教授の大西成明先生に、大学の研究室でお話をうかがいました。

◉大西成明

1952年奈良県生まれ。早稲田大学第一文学部社会学科卒業。1978年より工作舎で雑誌『遊』の編集に関わる。1983年よりフリー。「生命」や「身体」をテーマにした写真を撮り続けている。日本写真協会新人賞、ニューヨークADC賞ゴールドメダル、講談社出版文化賞、林忠彦賞、早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。

— はじめに、写真に興味をもったきっかけについて教えてください。

私の故郷、奈良の高校の先輩(写真家・太田順一さん)と大学も一緒で、彼の影響で学生時代に実験映画を作っていました。ただ、映画は何人もの仲間と共同制作をするのですが、その世界が一匹狼タイプの自分には合わないのではないかという疑問が浮かんできました。彼が卒業後、故郷に帰って写真に転向し、奈良から毎月、白黒写真のポストカードを送ってくれるようになりました。それらはずっと眺めていると、そこにある世界がじわじわと見え、引き込まれていくような魅力的な作品で、自分も写真で何かできるのではないかと思い始めたのです。しかしその頃は、大学になんとなく6年もいて、友達が社会に出てバリバリ働いている姿を横目に、“打ちひしがれた青春”状態でした。そんな中、しばらく奈良に帰って、はじめて買ったカメラを持ってごみ集積所に通いました。臭いはきつく、汚い場所でしたが、撮り始めると不思議なほどエネルギーが湧き出てきて、写真にのめりこんでいくようになりました。

— 工作舎で働きはじめたきっかけは?

松岡正剛さん(『遊』編集長)と津島秀彦さん(生体量子力学者)の対談集『二十一世紀精神』という一冊の本との出会いからです。

ぼろぼろになるまで読み込んだ『二十一世紀精神』

当時写真で食べていきたいとは思っていましたが、何から始めればいいのかわからなかったのです。その時、偶然本屋さんで手に取ったその本に、すごい衝撃を受けました。自分が本当に知りたかった世界、見たかった世界、聞きたかった世界、それらがいっきに押し寄せてきて、いろいろな言葉の断片がビュンビュンと脳天を直撃してきました。痛快で愉快で、まさに21世紀の知性の有り様をまざまざと見せつけられた気がしました。これまで出会うことのなかった、途方もない大きな存在に向かい合っていると感じました。読み終えたときに、「この人に会わなきゃいけない。会うことが自分の将来を決める。」と感じ、すぐに連絡しました。初めて工作舎を訪れたとき、松岡さんには会えなかったのですが、写真部のスタッフが持参した写真を見てくれました。その中に8ミリフィルムの映画の1コマを写真にしたものがあり、「これはおもしろい」と、いきなり『遊』に載せてくれることになりました。それがぼくの写真家としてのスタートでした。

『遊』に載った写真家としてのデビュー作

— 工作舎での仕事について教えてください。

初めて訪ねたその日、面談が終わった途端、いきなり暗室に連れて行かれ、白黒のプリントを教わりました。まったく初めての体験で、見よう見まねで、終電の時刻までプリントしていたように記憶しています。とにかく、わくわくするような刺激的なスタッフに囲まれて仕事をすることができました。自分の「存在力」を常にプレゼンテーションして、ちょっとでもチャンスがあれば自分の写真が印刷物になるので、練習なしの本番というものを、すごいスピードでこなしていきました。編集長だった松岡さんは、そういうチャンスをいっぱい作ってくれていたように思います。そして「写真はできて当たり前。得意なことはいつでもできるから、苦手なことや、やったことがないことをやれ」と言われ、企画の考案、インタビュー、デザイン、そして、書店営業や商品開発まで、なんでもやりました。編集や出版の流れをすべて把握したうえで、一枚の写真をちゃんと撮らなければいけないので、ぼくらは、”エディトリアル・フォトグラファー”と呼ばれていました。結局、この時の経験がフリーになってからも、すごく役に立っています。

— フリーランスになってからの仕事について教えてください。

フリーというと言葉の響きは自由な感じでカッコいいのですが、実際は、自分に就職するようなものですから、うまく回っているときはいいけれど、いったん狂い始めると際限なく落ちて行きます。でも、若い勢いにまかせて、来る仕事は断らないで全部やっていました。本来楽観的で落ち込まない性格で、どんな仕事でも楽しさを見つけられることが、フリーランスでやっていくのに合っていたように思います。ぼくの名前は、成明(なるあき)で、明るく成るということだけど、まぁときどき「なりゆき」などと間違って呼ばれたりすることもあって(笑)。でも「成り行き」ってフリーで仕事して行く上で大事なことだと思います。

— 写真集も多く出版されていますね。

共著も含めて10冊以上の写真集を作ってきましたが、自分がこだわっているテーマで写真を撮り、それを一冊のブックコスモス(本宇宙)に仕上げていくことほど、楽しいことはありません。種を蒔き、水をやり、やがて花が咲き、実を結ぶまで、10年ほどかかることもあります。ぼくは、もっとも身近にある自然、この「身体」というものに潜んでいるリアルな”生命”というものを、まるごと捕らえたかった。それは、ほんとにスリル満点なんですよ。最初の写真集『象の耳』では、われわれが胎児のときに見る夢、つまり、魚から両生類・は虫類・鳥類・ほ乳類へと変化していく光景、DNAに刻まれた”生命記憶”とでもいうものに、スポットを当てています。『FRIDAY』に一年近く連載した『病院の時代―バラッド・オブ・ホスピタル』では、日本全国の病院を訪ね、人が、「生まれる」「老いる」「病む」「死ぬ」ということの意味を問いかけました。

初めての写真集『象の耳』

『FRIDAY』連載『病院の時代』

— 学生時代に何か印象的な出来事があったら教えてください。

23歳のときでした。日雇いの肉体労働のバイト中に、建設中のビルの5階の床に空いていた穴を隠していたベニヤ板を、誤って踏み抜き、4メートル下の階まで、後ろ向きに落下してしまったのです。幸い、腰の骨にひびがはいっただけで大事には至らなかったのですが、落ちていくその瞬間、自分の姿をもう一人の自分が眺めているような感覚に襲われました。
不思議なほど恐怖も何も感じなかったどころか、今まで体験したことのないような、安らぎに満ちた感覚に全身が包まれたのです。そして、これまでの人生のあらゆる場面が一瞬走馬灯のように甦り、そうか、人間というものは、こんな風に生まれて、こんな風に死んで行くのかということが、一瞬にしてわかった、というか、さとったような感覚になりました。もし、「死」というものが、このように安らかなものなら、決して怖いものではないと、そのときは本気で思いました。後に、立花隆さんの『臨死体験』という本を読んで、あれは、ニア・デス体験(臨死体験)の一種だったと確信をもったのです。

— 「生老病死を凝視する」というテーマも、そういう経験と関係があるのでしょうか?

そうです。でもこれはきっと、「われわれはどこから来て、どこへ行くのか」という答えを探していくことと、重なっているように思います。宇宙の「星のかけら」が、この地球に飛来し、中に閉じ込められていたアミノ酸やいろんな物質が、「生命の素」になったというのは、今やほぼ定説となっています。幼いときに、「ヒトは死ぬと星になるんだよ」と聞かされてきたけれど、この地球に存在する私たちの肉体というのは、たまたまそうした「星のかけら」の、かりそめの宿であり、肉体が消滅すればその「生命の素」は、宇宙へと還っていくのです。夜空の星を眺めながら、宇宙からきて宇宙に還るという私たちの、あまりにもシンプルな”生命の有り様”に想いを巡らすだけで、どれほどか生きることが楽になるだろうと、ぼくは思っています。

— 大学では、どのような気持ちで学生に接していますか?

学生一人一人が、自分にとって本当に好きな事、大事なことを見つけ、今より一歩でも先に向って進んでいってほしい。そのようにダイナミックに変身していってくれる姿を見るのを楽しみに、授業をやっています。大学生活の4年間というものは学生にとっても、目まぐるしく移り変わっていく時期です。自分はこうなんだと枠を決めつけたり、先入観で自分を矮小化したりしないで、自身の内側の深い所から吹き上げてくる“泉”を、掘り当ててほしいのです。ぼくの経験では、自分の切実なテーマというのは、遠くにあるんじゃなくて、自分のすぐ近くにあるものです。でも、なかなかそうは思えないんですね。学生は本当に未知の可能性を秘めていると思います。だから、あきらめてほしくないし、私たちも、あきらめないということです。

東京造形大学のキャンパスは、光と風がいっぱい満ちあふれています。写真家(photographer)は、“光を描く人”という意味を持っているのですから、光と闇に対する感受性を研ぎすましていって欲しい、ここの環境はそれにピッタリです。そして、他専攻の人と触れ合うことで、写真というメディアを越境、複合させて、どんどん新しい、誰も思いつかなかったような”写真”に出会っていってくれることを期待しています。それから、写真は、なんといっても、被写体に“惚れる“ってことが一番大事です。
人だろうが風景だろうが物だろうが、何を撮るにしろ「ああ、なんて綺麗なんだ」とか、「なんて愛おしいんだろう」とか、「切ない」とか「心を揺さぶられる」とか、そういう感動がシャッターを切らせるわけですね。そして、ヒトをはるかに超える数のさまざまな生き物が、この奇跡の星“地球”に一緒に生きているということ、時々そんな事にも想いを馳せながら、一枚の写真を撮っていってほしいですね。

学生時代に撮った8ミリフィルムのひとコマ

— 最後にひとことお願いします。

真っ白いキャンパスに自分の感じるままに、生き生きとした光の絵を描くつもりで写真を撮る、ということです。写真は、デジタルの急速な普及で、特にこの10年、めまぐるしい変貌を遂げ、写真表現の幅は飛躍的に広がりました。いってみれば「何でもあり」という混沌とした面白い時代に突入してきたのです。こういう時に、一番大切なのは「見る力」だと思います。まず、被写体を前にどういう写真になるのかを想像する。次に、ファインダー越しに見える被写体に目を凝らす。そして、出来上がった写真をじっくりと舐め回すように見つめる。この“三度見る”という態度を身につけてほしいのです。今は、いっぱい撮って、いっぱい捨てる、写真の大消費時代です。今までよりひと呼吸、数秒だけ多くちゃんと見る習慣がつけば、写真はもっと楽しくなるはずです。

インタビューを終えて。

はじめてインタビュー取材を経験しました。ご本人から話を聞きながら、ちらっと見えた大西先生のインタビューのためのたくさんのメモ、すりきれるほどに読み込まれた本やノートにはっとしました。 とても密度の濃い、貴重な時間でした。

ありがとうございました。

インタビュー・文:大久保真希

撮影・文:安井咲