2012年8月15日 | category: Teaching Staff
写真専攻の講師、柳本史歩先生の写真展「生活について」が、2012年7月21日(土)〜7月31日(火)新宿コニカミノルタプラザギャラリーCにて開催されました。
写真展について、お話をうかがいました。
◉ 柳本史歩(やなぎもと しほ)
1976年 東京生まれ
1999年 東京造形大学卒業 以後フリー
2005年 フォトシティさがみはら新人奨励賞受賞
現在、東京造形大学・日本写真芸術専門学校 非常勤講師
[写真展]「栃尾に向かって-アイル・ビイ・ゼア」「海上の夏 」「故郷+<故郷>your village」「-ed 東北の生活」ほか
[出版物]「YourVillage」(共著)ほか
FotoLore http://fotolore.net
— 撮影地、岩手県山田町を撮り始めたきっかけは何ですか?
岩手県山田町ーGoogleマップにて表示
この町に初めて訪れたのは2007年でした。きっかけは岩手県久慈市で炭焼き小屋を取材した際、三陸鉄道と山田線を使って南下していた時に降り立ったのが始まりでした。駅舎を出てみると正面にまっすぐ伸びた大通りが海にぶつかっている町でした。この町で特に気になったのは、潮風でした。町を歩いても潮でベトベトになることがなかったのです。これは非常にびっくりでした。また海も綺麗で、オランダ島(大島)や船越漁港の荒神社などこじんまりとしているんだけど格好良い海水浴場が点在します。オランダ島の海水浴場は漁港から船で行くんです。地元の漁師さんは自分の船に子供を乗っけて送り迎えしたり。そうした町の佇まいの格好良さと、風の快適さ、そして何より僕自身が降り立った時に「なんか面白そうだ」と直感したのがこの町を撮り始めたきっかけです。
— 震災後、史歩先生の中でも心境の変化はあったのでしょうか?
僕にとって震災の経験はこれが初めてではありません。山田町は地震と津波で大きな被害が出たところです。実は2004年に開催した写真展「栃尾に向かって-アイル・ビイ・ゼア」の写真も撮影を一段落させた直後に中越地震が起きました。自分がさっきまでいた町がこつ然となくなるというのを2回も経験しますと、さすがにそれは写真を撮る際にも影響が出てくるように思います。僕の場合は、撮り方やテーマが変わったりという変化ではなく、自分の撮るスナップ写真の役割とか必要性を確信すること、そして今まで以上に自信を持つことができたと自覚しています。それぞれの地域で営まれている生活の仕草を丁寧にそしてどういう方向付けもせずに撮る事は、実は非常に大切なんだろうと感じたのです。
— 今回の展示「生活について」で伝えたいことは何ですか?
これまで同様、手法としてはモノクロフィルムによるスナップ写真で構成しました。手法自体は変わっていませんが、被写体との距離感を意識しました。それはこれまでいろいろなメディアや作家によって発表されていた「震災の写真」にしたくなかったのです。そのため展示中のテキストを読まない限りほとんど被災地と分からないようにしたいと考えました。なるべく他の人が撮っていない距離感で撮ろう、被写体にこれらのメッセージを託すような写真にしないようにしようと心がけました。また展示中にテキストを入れましたが、これは僕が普段撮影している時にとっている日記やメモが主となっています。写真では音や声を写すことは出来ないので、写真の周辺をなるべく詳細に書いていこうと思ったのです。テキストを額装したのはそうした文字も写真と同じ扱いにしようという考えです。こうした展示形態になってきたのは2006年「海上の夏」という展覧会をやった頃からです。
— 今回の展示は「アイル・ビイ・ゼア」シリーズ10回目とのことですが、そのシリーズについて教えて下さい。
そもそもこのシリーズは日本全国の町々を自分の目で実際に見てみたいと思ってはじめたものでした。僕の育った場所は東京の多摩ニュータウン、京王線の京王永山というところで、小学校3年生にあがる時に引っ越してきました。その時多摩ニュータウンはちょうどできたてで、各地から一斉に移り住んできた時期でした。そういう新しい町でしたので、友達のお父さんや家庭環境もある程度皆似ていまして、ほとんど会社員で、都内の方に電車に乗って勤めに行くというスタイルでした。そうした中で育ったこともあり、旅行先で漁師を見たり農家を見たり、トラック運転手を見たりするのが非常に新鮮だったんです。そんなこともあって全国のいろいろな町で行われている生活の姿を見てきたいなという欲求からいろいろな場所を歩くことをはじめました。それが結果としてこのシリーズにつながっています。
— 山田町でのエピソードを教えて下さい。
山田町はかなり方言が強いところで、話していても相手の言っていることはほとんど分かりません。たまに出てくる人の名前とか物の名前とかがかろうじて分かる程度。ですからいつもICレコーダーで会話を録音して、いつも泊まっている湯治場のおかみさんに聞いてもらって翻訳してもらってました。後から聞き直すと、僕の相づち、会話がまったくかみ合ってないなんてことはざらです。
— 町は変化していきますが、史歩先生にとって変わらないもとは何でしょうか?
変わらないものは生活のサイクルや仕草なんじゃないかなって思います。町はひとが集まってできているものですが、その人達が社会的に機能している役割によって性格とか性質ってでますよね? 漁業関係の人が多ければ漁業の町みたいな。そして、その町の地形などによって人の雰囲気や仕草が変わってくるように思います。僕は写真を撮りながら歩いていると、時々分からなくなってしまうことがあるんです。それは人が町の性格をつくっているのか、町が人々の仕草や気質みたいなものをつくっているのか、どっちなんだろう?って。なんでそんなことを考えるかというと、沿岸の町には必ずどこの漁港にもいるよねって思う漁師の顔があったり、仕草があるんです。そういう人々を見ていると町が人をつくってるんじゃないか?って思わされるんです。
— モノクロ写真で撮るのは何故ですか?
モノクロで撮っている理由は内容上、制作プロセス上いくつかあります。まず内容上の理由のひとつは仕草や佇まい、息づかい、音を前面に出していきたいと思っているからです。こうした部分を表現するためにはモノクロが適しているのかなと思いました。また制作上の理由としては、モノクロ写真は撮影から仕上げまでを全て手で動かすことで作れるという点です。撮影をして現像をしてコンタクトプリントを作ってテストプリントをして…各工程を手でやっていくと、途中で「この写真よりもこっちのほうがいいな」とか「次の撮影ではこういうところを撮りたい」といったうまくいった部分や失敗した部分を確認できるからです。
— プリントへのこだわりは何ですか?
展示写真で気をつけている事は、パッと見た時に心地よく見えるプリントといいますか、すっと目に飛び込んでくるプリントをつくるということでした。ギャラリーでの展示の場合、照明の多くはタングステン光です。そうした中ですっと見せる為に、僕は意識的にコントラストを高めにしてプリントしてます。
また今シリーズの展示写真はRC印画紙を使用しました。モノクロの展示用写真っていうとバライタが多いと思いますが、そこをあえて。確かに長期保存を目的にしたプリントではバライタ印画紙がセオリーですが、バライタ印画紙でプリント、展示をするとなんかものすごく古いというか、懐古的な写真に見えちゃうこともあってRCでプリントしてます。このシリーズの展示はファインプリントを見せる展示ではありません。どちらかというと被写体との距離や流れを見せていきたいと考えています。そのため、写真を見た時に何を見せたいかがはっきり伝えられるような、またあくまでも今を撮っているという姿勢を見せる為の紙選びやプリントを目指しました。
— フィルムで撮影した写真の中に、4点だけデジタルからフィルムへの焼き付けでプリントしていますが、その技術について使ってみた感想を教えてください。
デジタルカメラで撮った写真は、インクジェット用写真用紙にプリントするほか、データをレーザーで印画紙に焼き付けるラムダプリントのような方法があります。また最近ではデジタルネガフィルムという、インクジェットプリンターでネガ状にした画像を印画紙へプリントするというものも出てきてます。
今回の展示で使ったのは、これらとは違い、デジタルデータからモノクロネガフィルムをつくるプロセスです。特殊な工程なので、この作業はラボにお願いしました。技術自体は新しいものではなく、以前からあったようです。原理はラムダプリントに近く、デジタル画像データをレーザーで4×5や8×10のシートフィルムに照射し、そのフィルムを現像します。フィルムはフジの「ACROS100」でした。そして、出来上がったネガを自分で印画紙に焼き付けました。
この方法を使った理由は、デジタルカメラとフィルムカメラで撮った写真を近い雰囲気で見せたいと考えたからです。これまでやったことがないので一度挑戦してみたいという感じでした。
ネガはラボに出して1週間ほどで完成しました。ネガはプリント見本に準じてつくられていたので、撮影したものに比べて焼き付けの手間が少なくすみました。ただ簡単である分、ネガから新しい発見はないかもしれませんね。また、35mmでは小さすぎるため、4×5のシートフィルムに6×7サイズのネガを作りました。他の、フィルムで撮影した写真と違い中判フィルムに出力したので、よく見ると粒子のきめの細かさなどに違いがあるとは思います。でも、実際にネガを作ってみて、この方法を使用することでデータの原版を手に持てる形で保存できるという安心感を得ることができました。今後、自分のデジタル写真を残す手段として、有効なんじゃないかなと思います。
— 史歩先生は作品を展示という形で発表することが多いですが、展示発表に対するこだわりはありますか?
毎年開催するというのが大学卒業以来掲げているひとつの目標です。毎年やっていると徐々に繰り返し見てくれる人も増えます。また僕のこうした写真は溜め込んでみせるタイプではないと思いますので、なるべくスパンを短くしたいと考えています。今回は特に大学の同級生が来てくれたのは嬉しかったです。
展覧会は僕が写真を続けていくための、反省と今後の改善点を見直していく契機になっています。会場に来て下さった方からたくさんのアドバイスをもらいました。それらを踏まえてこれからも取材をはじめ展覧会や写真集などの活動を頑張っていきたいと思います。
◉ インタビューを終えて
史歩先生の見つめる町には絶妙な心地良い距離を感じました。被災地でありながら被災地と感じられない町の風景、史歩先生の変わらない町への眼差しを感じ取れました。次はどんな町の生活が見られるのだろう、と次の展示も楽しみです。
文・構成:平本倫子
写真提供:柳本史歩