齋藤亮一先生インタビュー

2013年2月6日 | category: Teaching Staff


写真撮影Dの講師、齋藤亮一先生の写真展『コドモノクニ』が2012年10月20日(土)〜10月31日(水)新宿コニカミノルタギャラリーCにて開催されました。会場で、お話をうかがいました。

◉齋藤亮一先生プロフィール
1959年札幌市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。
在学中より三木淳氏に師事。1985年よりフリー。
雑誌を中心に人物、風土などの撮影をする一方、世界を巡り写真展、写真集などで作品を発表している。
主な写真集に『Hasta la Vista』『新しい地図』(日本写真協会新人賞)『如是-生命記憶への旅』『NOSTALGIA』(東川賞特別賞)『BALKAN』(日本写真協会年度賞)、『ゆるやかなとき』『にっぽん五世代家族』『Lost China』(東川賞国内作家賞)、『フンザへ』『monologue/monochrome』『INDIA下町劇場』『佳き日』他、写真展開催多数。

http://www.saitoryoichi.com

ー 今回の展示は、30年にわたり日本の各地で撮影された写真だそうですね

7割がた仕事で行った旅先の写真です。プライベートで行った写真もありますが、なかなか個人的な旅ではこんなにあちこち行けないですよね。昔、JTBの『旅』っていう雑誌や飛行機の機内誌で毎月連載を持っていたので、月に2~3回はどっかに行ってました。いろんな所に行かせてもらいましたね。雑誌の依頼の仕事で行っている場合、いい写真が撮れればページをあけて待っていてくれて、そこに載るわけです。飛行機の機内誌では、毎回大きく写真を載せてくれていたから、毎月写真展を開くような気持ちでやっていましたね。説明的なカットを並べるんじゃなくて、1ページで写真をどーんと見せてくれていたので、飛行機に乗る人が見て「つまんない写真を撮ったな」って言われるのは悔しいから(笑)毎回必死で撮ってましたよ。

雑誌に掲載された写真は先方に渡してしまうので、展示している写真はほとんどがそのアザーカットです。昔の仕事は、いまと違ってあまり縛りがなく、「好きにしてください」ってことが多かったんです。だから僕のなかでは「これは仕事だから」って区別がなくて、行った先で好きな写真を撮っていました。その頃は子どもに出会うと一緒に遊んじゃったりして。仕事してんだか旅行に来てんだかよくわからない感じでしたね。ま、そんな気分で撮ってたのが逆によかったのかな、と。あんまり仕事仕事していない感じで。

ー 今回「コドモノクニ」という写真展で、子どものいる風景ですが、撮影しているときから意識していたのでしょうか?

風景だけって僕はあまり興味がないんですよ。画面のどっかに人間を入れたいんですよね。子どもだけじゃなくて、おじいさんとかおばあさんでもいいんだけど。そのなかで今回は子どもが写っているのをピックアップしたってことです。

ー 思い出深い写真は?

どれも思い出深いですが、この震災前の岩手県大槌町の写真ですかね。学校を卒業して22~23歳のときに撮ったものです。僕にとって初めての仕事のようなものだったので、すごく印象に残っています。

ちょうどワカメの収穫のシーズンで、岸壁のところに大槌じゅうの人がいるんじゃないかというくらいにずらーっと人が並んで、小さい子どもからおじいさん、おばあさんまでうわーっといて、みんながワカメを切り分ける作業をしてるんですよ。葉っぱのところと茎のところとをがぶっと包丁で切り分けるんですけど、4~5歳くらいの子も包丁を持ってざくーっとやっていて。猫の手も借りたいって感じでね、思い出深いです。

ー 声をかけて撮られているんですか?

声をかけていることが多いですね。でも、声をかけることで意識されて反対によくなくなっちゃうこともあるし、ケースバイケースです。まず、バシャって撮っちゃって、そのあと声かけるとか、してました。
佐渡の写真では、女の子たちが木のところで遊んでいたんです。いくつかある木の前に一人ずつ立たせてみたら面白いなと瞬間的に思いついて、頼んだら快く引き受けてくれました。撮影も手伝ってくれたりしましたね。

瀬戸内海の北木島っていう島の小学校に、木造の感じのいい校舎あったんです。そのころ島をあちこち渡り歩きながらぶらぶら写真を撮っていて。ちょうど先生が僕を見つけて「いま授業が終わってホームルームの時間になるからよかったら見学して行きませんか? 」って声をかけてくれたんです。じゃ、って中に入って写真撮らせてもらったったんですけどね、ある意味、良い時代でした。

今はもう学校にはとても近寄れませんよね。子どもにカメラを向けづらくなったのは事実ですね。この前もね、岡山の吹屋っていうところに、その時はまだ現役で使っていた大正時代の古い校舎があって、写真を撮りたくて周りをうろうろしていたら、職員室からたぶん通報したんでしょうね、警官がやってきて「何やってんですか?」 って言われて。嫌な時代になったなって思いました(笑)。今回プリント作業をしていてあの頃は良かったなと、あらためて思いました。学校帰りの写真も多いんですけど、今だったらちょっとあやしいおじさん、になっちゃいますよね(笑)

ー ひとつの場所でいろいろアングルを変えて撮りますか?

あまりたくさんは撮らないんですよ。ぼくが仕事を始めたころの取材は、撮影料が材料費込みでね。あまり撮りすぎるとフィルム代がかさんでギャラがなくなってしまう(笑)。だからなるべく少ないカットで決めるような方法論が身についているんですね。今だったらデジタルだから、むちゃくちゃ撮るけど、2泊3日で写真を撮りに行ってフィルム10本撮らないくらいですね。途中から材料費が別に出るようになったけど、そうたくさんシャッターはきらなかったですね。

ー 撮ったあと再度訪れた場所などはありますか?

ありますよ。大槌とかには4~5回行ってます。でも不思議と2回目に行ったときにまた同じ写真が撮れるかといったら、ぜんぜん違っているんですよね。そんなに時間は経っていないんだけど、この時だけなんですよね。旅ってそういうもので、また同じ場所へ行けば何かあるんじゃないかと思うけど、ぜんぜん違うんですよね。2度と同じものは撮れないですね。

ー 震災による原発事故で、「子どもたちがこういう表情でいられなくなったんじゃないか?」ということを写真展の紹介文で書かれていましたが?

今回の写真展とは直接は関係ないんですけど、当たり前にあるはずだった風景もいつどうなるかわからないんだっていうことを思い知らされたわけです。原発をすぐ止めるってことじゃなくて、みんながそういう意識をもって将来のことを、今どういうふうに舵をとるべきかってことを、僕自身もそうですけど、大人が考えなくちゃならない時期なんじゃないかと思います。そんな思いが湧いてきたときにこういう写真展ができたらいいなと思って昔の写真をまた見直したんです。
こういう当たり前すぎる写真って、若いころは人さまに見せるのは気恥ずかしい感じがあったんですけど、若いときってちょっとひねってやろうという気とか、格好よくみせてやろうっていう気があって、いろいろてらいとかあるじゃないですか。あまりにも普通すぎる写真というか恥ずかしいし、仕事で撮ったけれどそのまま放ったらかしだったんです。今みると、逆に変なことしていないのがいいなと。年をとったのかもしれないけど、去年(震災)みたいなことがあった影響もあってか、ストレートだけど、そのまんま見せるのもいいなと思う気持ちになってきたんですよね。

ー 白黒の写真は大判カメラでの撮影ですか?

ペンタックスの6×7ですね。左右に余白がある写真は6×7です。カラーはマミヤ7と、途中から35mmと2台で撮っていました。モノクロはほとんど6×7がメインですね。35mmでは細部の描写が物足りなかったんです。カラーのときはマミヤ7と35mmでしたね。

ー 旅をしながらの撮影だと、かなりの機材の量ですよね。

そうですね。若くて元気でしたから(笑)。両肩に望遠ズームとワイドズームつけたカメラ2台背負って、首に6×7かけてるときもありましたね。カラーのときはだいたいそんな感じで。今はとてもそんなことはできませんけど、あの頃は平気でした。ぼくがもっと若いころはズームがまだあまりよくなかったから、単焦点のレンズをカメラバックにたくさん入れて、いちいち変えて撮ってました。そのころに比べればズームでやれるようになって、ずいぶん軽くなったなあと(笑)。加えてフィルムも持っていきます。フィルムって意外と重いんです。たとえばスタジオでの人物撮影のときは、フィルムをばんばん使うこともありましたけど、旅での撮影では、フィルムは重いからそんなに無闇に持ち歩けないですね。だからシャッター押すのは吟味してました。

ー 齋藤先生にとって『旅』というのは大きいキーワードでしょうか。

大きいですね。自分の作品とワンセットですね。ぼくは中学生のころからカメラをもってひとりで電車に乗って旅してました。学校休んで行ったりもね(笑)。若いころは何週間もぶらぶら歩いて、それだけですごく楽しかった。ずっと同じようなことをやってますね。最近は、国内のお祭りが面白くてあちこち歩いています。
消えてしまった風景もあるし、昔ながらの商店街がみんなシャッターが閉まってるような切ない風景もあります。だけど、今でもこのような懐かしい風景は撮ろうと思えば撮れるんじゃないか? という気もするんですよね。いつの時代でも、誰の心のなかにでもある共通した故郷とか懐かしいイメージって、今は今の風景としてあると思うし、そういう目で見ていくことで発見があるんじゃないかと思いますね。

» インタビューを終えて。
僕は92年生まれなのですが、展示してある写真のほとんどが生まれる前の景色でした。なかには行ったことがある場所もありましたが、昔はこんな風だったんだな、と思ったりしました。山田洋次監督が撮っているような風景が日常にあるっていうことがうらやましいです。写真にあった大槌町の吉里吉里には震災の前の夏、送り火とかお盆のころに行きましたし、宮城から八戸にも行きました。震災後に向こうにいる知り合いに写真をあげたりしました。たくさん撮っていないので、作品としてまとまるかどうかわからないけど、齋藤先生の写真をみて、機会があればまた行ってみたいと思いました。

写真:赤塚 祐介

取材日:2012年10月28日、新宿
インタビュー・文:首藤 幹夫

関連リンク:
齋藤亮一先生「コドモノクニ」写真展
齋藤亮一先生「如是 Nyoze」写真展