宮嶋康彦先生インタビュー

2012年12月10日 | category: Teaching Staff


写真撮影Bエレメンツの講師、宮嶋康彦先生の写真展『新約 日光山』が、2012年11月8日~11月14日、東京オリンパスギャラリーにて開催され、先生にお話をうかがいました。
なお、大阪会場での展示は:2012年12月6日(木)~12月19日(水)。
詳しくは関連リンク:宮嶋康彦先生「新約 日光山」写真展を参照。

◉宮嶋康彦先生プロフィール
1951年長崎生まれ。1985年ドキュメントファイル大賞受賞。写真と詩、写真と小説、写真とノンフィクションなど、写真の富と文芸の富を 融合させることで、独自の表現形式を創出している。

ー 長い間栃木県の日光を撮影されていますが、なぜ日光を選ばれたのですか?

精神的に不安定な時期に栃木の山をうろうろしながらたどりついたのが日光だったの。中禅寺湖の側のそば屋さんに入って「旅館の住み込みで働けばここで暮らすことが出来るよ」って言われて、即面接に行ってかみさんと二人で翌週に引っ越した。そこに半年位いたら日光市が持ってるちゃんとした家に移ることが出来て、そこで6年間暮らしたの。
風景がね、素晴らしかったこと。標高1500メーターあるからすごくいい空気で、その空気の清浄さっていうか、清らかさっていうかね、そういうものに惹かれましたね。ここでもし生活が出来るのであれば、もう願ってもないことだなと思った。生まれ育った長崎とはもう丸っきり違う場所だったね。海辺で育ってるから山に対する憧れっていうのがあったんだよね、きっと。今でもこれからも日光に対する敬意は変わりませんね。尊敬と敬意がありますね、土地に対する。

『新約 日光山』より

ー 今回の展示でも使用されていたプラチナプリントを始めたきっかけを教えてください。

これはね、細江英公さんからプラチナプリントをみせられた時に、130年前にプリントされたものが少しも劣化してない。「これがプラチナプリントだ」って言われて、保存性が半永久的でグラデーションが非常に綺麗、これはもう自分のためにあるようなプリントだって思ったから、これで作品をずっと作り続けることが出来たらなんて幸福なんだろうと、そこからだね。プリントの美しさで、やってみようと。
それで、細江さんのプラチナプリントのワークショップに参加したんですよ。実際に見てみたらなんて簡単なんだと、あぁもうこれならということで。ただ薬品が高価であるということがネックだったけれども、人生の全てを賭けるんだったらそのために働こうと。そのためにかかるお金は惜しくないと思ったから、ちょっとずつでもいいけど、とにかく全力かけてやろうと。僕はね、性格上何かを始めるとそれに討ち死にするまで突き進む性格なんで、もう早かったですよ。
自分がやってる写真は、人と自然がテーマだから、プラチナプリントの質とかね、質感とかね、自分の目指してるものと合致するなと思ったの。

ー プラチナプリントに使用する和紙をご自分で作られるようになったのはなぜでしょうか?

まず、和紙にプリントしようと思ったのは、ヨーロッパやアメリカの人たちは版画用紙にプリントしているんだけど、自分は日本人だし日本には和紙という世界のどこへ出しても堂々と素晴らしさを語れる紙がある。その和紙にプリントできないだろうかと。そこから試行錯誤が始まるんだけど。色んな所の紙を買ったら、素晴らしいんだけど時々シミが入ってくる。これがね、例えば真っ青な青空の中にシミが何点かポって入っている。チリって言うんだけど、お店ではチリのある紙しか手に入れられない。それじゃあ自分で作るしかないでしょ。理想の紙は。元々和紙好きで和紙のこと詳しいし、いたずらに漉かせてもらった経験が今まであったから、ちょっと自信があったのよ。興味もあった。好きでもある。じゃあ、埼玉県の小川ってところにある工房へ行こうと、そこに弟子入りをして習い始めたの。もう1年半くらいになるのかな。猪突猛進の人だからあっという間に上手になっちゃった。

ー 先生は製本家であられますが、手製本を始めたきっかけを教えていただけますか?

商業出版に希望を見いだせなくなって、製本を始めたのよ。本が大好き、紙が大好き、だったら自分で作るしかないぞと。それで製本家の先生の門を叩いたの。紙を作るっていったって楮(こうぞ)から作るから、草刈りしたり芽掻きをしたり畑仕事して紙をつくる。人間の力って、自分一人でどこまでできるのかっていうのも興味があった。一人と言っても、もちろんそこに手助けをしてくれる人の力っていうのはいろんな形であるのよ。あるんだけども、一人の力でどこまでできるかって。自分で製本すると言っても10,000部も作れるわけじゃないじゃない。10,000部売れなきゃ本じゃないのか? 500部でも生涯その人の手元に置かれてる本の方が素晴らしいんじゃないだろうかと思い始めて、やっぱり本を作ろうと。どうしても僕の作品集が欲しいっていう人の手元に一生あった方が僕は嬉しいと思う。ずっと持っててもらいたいって思うじゃない。作家だったら。もう14年目かな。
これからも精度を上げていくこと、より高みを目指す。あくまでも格調高く、妥協せずにやっていくよ。ここまでやるんだったら、徹底的にやってみろって誰もが思うと思う。僕も思うもの。

ー 何事を始めるにも、やってみるということが大切なのですね。

やっぱり写真家はね、行動する以外にない。とにかくシャッターを押すしかない。シャッターを押して被写体を最高の状態でプリントをして自分が気持ちよく思えるようにしなきゃいけない。それは紙も最高のモノを作んなきゃいけないフイルム現像も。プリントも。最高に自分の肉体を使ってギリギリのところまで自分を追い込んで作っていかなきゃいけないっていうのが僕の心情。苦しくないのよ、楽しいのよそれが。嬉しくて仕方がないわけ、写真をやっている瞬間が。だから学生がさ、こういうものを撮りたい、ああいうものを撮りたい、どんな機材を使ってどこに行けばそういうのが撮れるかって聞いてくると、徹底的に手助けしたくなる。それは、学生といっても、同じ時代で作品を発表する以上、学生だから年寄りの作品より劣るとかはありえないわけで、ライバルなのよあなたたち。その人たちは知らないから、方法を教えてあげたい。ここへ行けば出来るよ。俺が見張りをするから。そこまでしてあげたくなる。やっぱり同好の志というか、同じ道を歩くものとして、やってあげたくなってしまうね。自分が若いときにそういうことをしてくれる人が一人も居なかったから。常に一人だったから。

*『新約 日光山』展示期間中2012年11月11日土曜日に、宮嶋先生ご自身による実演で、プラチナプリントの液を作るところから紙に焼くまでを見せて頂きました。また、『スライドと朗読と音楽』では宮嶋先生の作品を投影しながら、女優・宮嶋みほいさん、ギター・那須寛史さんによる詩の朗読ワークショップが行われました。

ー 今回のワークショップについて聞かせてください。

(プラチナプリントの実演を)わざわざあそこでやったのは、デジタルの時代にさ、自分が漉いた紙にプラチナプリントという手の掛かる技法で写真を作るっていうことの“意味”だよね。それは、写真に対する敬意・尊敬の一言。撮らせてもらった相手に対する敬意はね、自分の手足のできる限りを使って作品にしたいじゃない?そうすべきですよ。僕の仕事仲間は太陽光線だけ。太陽としか仕事しないの。
展示の時は毎回スライドや詩の朗読、短編小説の朗読を20年も前から続けているよ。今回自分で朗読をやらなかったのは簡単なこと。『日の湖、月の森』という詩は、日光に行った年に作ったの。この詩を書いているとき、今回朗読してくれた彼女は命としてお母さんのお腹の中で育っていたの。

ー 今回の展示『新約 日光山』では、2011年3月11日の原発事故が大きく影響していると感じました。何も知らずに一枚一枚で見てしまえばとても美しい写真たちで、原発事故のことが直接的に写されているわけではありませんが、作品を見るときに原発ということを意識してもよいのでしょうか?

そうですね。今まで自分たちが見てきた美しい日光、僕がここに住みたいと思った時の美しさとか、清浄な大気とか、そういうものが一時期汚染された。原発とは一体何なのかっていうのを考える上でも、この汚染された地域をしっかり見ることが大事。今までとは違った視点でその風景を見なければこの事故の意味は伝わってこない。それからみんな、今だに日光は観光地として出かけて行くけれど、その美しい景色の底には、原発から排出された放射性物質で汚染されているっていうことも知っておかなければいけないよ、ってことを暗に言いたかった。なぜこの鹿は死ななければいけなかったのかとか、もちろん原発によって死んだのではなかもしれないけれどもそういうことを意識しながら見てもらえたとすれば、こちらの狙いは、願いは通じる、通じたものがあったのかなと理解してもいいのかもしれない。

作品を世の中に問うということは、この人は何を訴えようとしていたのかっていうのを、読者の側に、観る側に、感じてもらわなくてはいけない。その端緒になればいいなと思って写真展とか発表する訳じゃない。それを感じてくれるかくれないかは受け取る側の問題で、僕がいくらそんなことを主張しても感じない人は感じないし、感じる人は敏感に感じる。
それにね、プラチナプリントについての結論めいたことをいうと、プラチナプリントって、およそ140年前にイギリス人が開発した技法だけど、僕にとっては写真をプリントして展示をするという、みんなに見せるための一つの技法にしか過ぎない。銀塩やデジタルが一つの技法であるように。
だからあの会場には、「この作品はプラチナプリントです」って一行も書いてないです。そういうことは必要ない。ただの技法だから「プラチナプリントで作った作品ですよ」って大声で言いたくないの。そんなことより、そこに何が写っているのかが問題。全てはそこにある。技法が問題視される以前に。そこに何が写されているかということを感じられる感性を持ってもらいたいなって思う。

*インタビューを終えて*

スペースの都合上載せることが出来なかったお話や言葉がたくさんあり、作者や作品の持つ思いや考えを伝える難しさと責任を強く実感することができました。この記事を読んで宮嶋先生の作品に興味を持ち、作品を見て考え感じて魅了される人が一人でも増えるきっかけになれたら嬉しく思います。

取材・文:室井 愛希

ワークショップを撮影するという事は初めてだったので戸惑うことが多々ありましたが宮嶋先生が快く受け入れてくださったのでリラックスして撮影する事ができました。ワークショップを体験するという事も初めてで宮嶋先生のとても興味深い話を聞けて良い体験ができたと思います。

写真:堀内 大嗣