RE-RECORDING(4)

2013年5月20日 | category: speaks


「サンディ・スコグランド-『複製』解釈を超えて実物大との『関係』へ」 柳本尚規

sandy

「私の作品は、感情に訴えかけてくる目に見えぬ存在を具現化したものだ。ふだんの習慣化した平凡な日常生活は、とりわけ私にとっては魅惑的な素材である。イラストレーターや映画監督のように、じっさいに目に見えることとそれが触発するイメージを同じ水準で操作するのはじつに楽しい。私はひとつ一つの日常生活のシーンを、触発されたイメージ(感情に訴えかけてくる存在)を形にした手作りのモノを加えて再現することによって、もうひとつの解釈を表そうと思っている」、とこれはスコグランドの言葉。

先だっては渋谷のパルコギャラリーでスコグランドの展覧会があった。ここ10年来の代表作とともに、インスタレーションといわれる原寸の「装置」も一つセットされ、この写真家の全体がまとめて見られるといういい機会だった。

その展覧会で、私はちょっと変わった感覚を実感した。展示された作品の大きさのせいだとも思うけれども、それは「実物大の写真」を見ているという感覚だ。これは、写真のことを世界を縮小して見る技術だと思う習慣的感覚にとって、ちょっとした体験である。

この縮小の技術というのは、ベンヤミンがいった複製技術の形成とともにつくられてきた現代人の芸術感覚、つまり人が複製技術作品を使いこなすのに必要な作品支配力をもたせてくれる技術という意味である。

だから「実物大の写真」を見ている感覚というのは、複製技術形成以前の作品と鑑賞者の関係に引き戻されたような感覚をもってということになる。これは要するに鑑賞者にしてみれば、「解釈」より「関係」において作品との間を成り立たせるということになる。「解釈」は自由にさせてくれないが、「関係」は自由なのだ。縮小という、ある一つの視点の固定から、自由に見られる関係への転換。

スコグランドはそうした関係をつくるために、「縮小の」とは見られるおそれのない作品の大きさを設定しているのではないか・・・・。

「実物大の写真」ではスコグランドの意思の形跡を細かくたどることができる。だから本人同様に楽しい。なにしろ全体が緻密なのだ。(ということからすれば、スコグランドの写真は小さな画面では「解釈」の方に引き込まれやすくなるかもしれない)。そして同時に、スコグランドのイメージが、いかにも日常の小さな感覚から派生しているのだと教えられて引き込まれてゆくのである。

サンディ・スコグランドは、1980年代に台頭したアメリカのニュー・ウエーブを代表する写真家である。

彼女が知られるようになったのは、1981年の個展での「金魚の復讐」と「放射性の猫」という二つの作品によってだ。その徹底した虚構と遊戯性は、あとに多くの後継者や亜流を生み出したから、シンディ・シャーマンとバーバラ・カステンとともに、80年代ニュー・ウエーブの先駆者といわれるようになった。

彼女は1946年、ボストンの生まれ。他のニュー・ウエーブの作家たちと同様、大学では美術を学んだ。時代からしても、必要最小限の表現によった、ミニマル・アートや、言語的な内容に作品を従わせるコンセプチュアル・アートの影響を色濃く受けた世代だ。じっさい彼女は学生時代にミニマル・アートの彫刻も制作した。しかし次に彼女はドキュメンタリー・フィルムの制作に手を染めるのである。

そういう前歴をもつスコグランドの作品はミニマル・アートの彫刻の形式と、ドキュメンタリー・フィルムの形式をミックスして生み出されたものだといわれる。その意味では、自己の体験をつみ重ねるじつに着実な作家ではある。

ところで「メイビー・ベイビース」は、先の二つの作品のあとの個展(1983年)でただ一点だけ発表された作品だ。

そこには、撮影のための装置、つまり原寸大のインスタレーションも表わされた。赤ん坊だけは「原寸」の約二倍の大きさで配置されていたそうだ。

しかしその作品は、前二作とは少し違って辛い批評も浴びることになったという。なぜかというと、前作の徹底した遊戯性から、寓意が強くなりすぎたせいである。それはいかにも重い寓意だと、前二作と異なった作風にブーイングがあったというものだろう。しかしその後ほまた元に戻った・・・・。

スコグランドには、こうした「インスタレーション・シリーズ」と、もうひとつ「トゥルー・フィクション」のシリーズがある。これはシリアスなモノクロ写真を組み合わせて着色した構成写真で、ダダイストたちのフォトモンタージュ作品を思わせるシリーズだ。

それはあたかも、「実物大写真」シリーズによって、自由な感情の気持ちの往来を図り、もう一つのシリーズによっては作家個人のコンセプトを明確に理解させようとしているかのように、つまり、アメとムチの両具をもって自己表現を広めようとしているかのようだけれども、だとしても、その広めよう、すなわち伝えようという率直な意思が、スコグランドの写真から「難解さ」を遠ざけている。私たちはいつも作品にあらわれる作家の意思の流れを通して、作品の意味を理解しようとするものだからである。

(「すばる」1990年11月号所収)

80年代にあらわれたアメリカ「ニューウェーブ」の担い手はみな女性だった。この時期をきっかけに、女性のとる写真が際だって多くなった。それも、男性に伍して、というのではない<女性>性に拠った作品の潮流である。

80年代はメイキング・フォトの時代だった。シンディ・シャーマンとか、バーバラ・キャステンとか・・・・私自身とは別世界の写真だったが、その<別>さにすがすがしい感じをもった。女性の目線とか、そんな言葉などは思いつかないほど、女性を売り物にしているのではない、写真を使った新しい表現がもたらされた。

それにしてもこの頃日本ではほとんど話題にのぼらなくなった。席巻した、という感じすらしたシンディ・シャーマンの名前も、聞いたことがあるかもしれない、という人の方が多くなったのではないか。情報誌とカタログ誌が圧倒的に多くなって、アートの主題もそういうメディアのトピックスとして扱われるようになっているせいかもしれない。トピックスは新しいものを触っていないと見向きもされないから。

スコグランドはいまもなおいっそう先鋭化した作品を生みだし続けている。精巧なセットを作り一つの作品ができるまで数ヶ月をかけながらという独特の方法もいっそう徹底しているようだ。ボストンに近いハートフォード大学のアートスクール教授を経て76年からはずっとニューヨークにも近いニュージャージー州のラトガーズ大学で、写真、インストールアート、マルチメディアを教える教授である。

スコグランドの日本での初めての展観が「パルコギャラリー」(渋谷)でだった。パルコには他にも「エクスポージャー」というギャラリーもあって、何年かぶりに<写真家>活動を再開したウィリアム・クラインの新作展が開かれたりしていた。しかし西武(セゾン)系の文化戦略はしばしば変わって「エクスポージャー」も程なくして特売品売り場になったりしたから私の印象はとても悪い。(写真専攻の卒業生がそこの運営を担当していて、一生懸命だった彼女を失望させたところだからなおさら私には腹立たしい記憶が消えない)。

デパートがどこも美術館をもつ時代だった。三越美術館(新宿南館)、伊勢丹美術館、東武美術館、小田急美術館・・・・。それなりに大がかりな展覧会を主催したが、厨房のにおいが漂ってくる(デパートはだいたい上階にレストラン街を配置していたので)美術館なんてありえない!と作品を貸し出した海外の美術館関係者が来ては嘆いたという話はよく聞いた。バブルの崩壊とともに90年代の終わりまでにはデパート美術館は一斉に閉じられてしまった。日本の<企業メセナ>の底の浅さはいまなお変わっていないと思う。いやスコグランドの作品とは関係がないのだが、ついそれやこれやを思いだしてしまうのである。