2013年11月12日 | category: ゼミ
客員教授、高梨豊先生にゼミについてお話をうかがいました。
ほかのゼミでは作家自身の作品テーマに添って授業が行われているようですが、僕のゼミの特徴は、こちらから出す課題やテーマが無いんです。
なぜかというと、たとえば、僕の新国立美術館のカタログ『光のフィールドノート』(注:大学の図書館に所蔵されています)を見ていただければわかってもらえると思うんですが、僕の写真のスタイルは何が本筋なのかわからないくらい、いっぱいやり口があるんです。最初は抽象的な表現をやっていたし、人物写真やストレートフォトグラフィ、そして広告写真もやってる。これまで撮っていないのは顕微鏡写真だけだって豪語してるんですけどね(笑)
生意気かもしれないけど、たいがいのことはフォローできる自信があるんです。
自分で発想してやりたいという知的な好奇心を持つ学生のほうが僕は可能性があると思っているので、ずっとこういう形でやっています。
テーマが無いなんていうと、みんな怖がってこないのかもしれないね(笑)
でも、卒業したら一人歩きしなくちゃならないわけだし、自分で考えなきゃならないんだから。
授業は、まず写真を撮るということ。そしてその写真を真ん中にして話し合いをやるということです。
もちろん写真のジャッジをするわけですが、僕は写真の完成度でジャッジはしないって言ってます。いっしょにやっているというプロセスで判断しています。学生はいろんな先生の所でそれぞれ学んで僕の所に来ているわけだから、あまり辛口の点数はつけないんです。
ある程度授業が進行したら、「言葉を書いてごらん」とか、「題名を付けてみようよ」というんです。創作というのは、実作(写真ではシューティング)と、言葉や批評の両方が重要だと思っていて、その両面をこの授業ではやりたいと思ってます。
いまゼミの卒業生の榎本祐典君がコニカで展覧会やっているんだけど、彼が「今回の写真を撮っていて観念的にならないリアリティーがあったんです。だからこそある種の観念の定義としての題名とか言葉というのは重要なんだってわかった。授業でタイトル考えろって先生に言われてたこと、いま実感してます。」って言ってて嬉しかった。写真もすごく良かったし、握手して別れたんです。
ゼミの学生が展覧会をやるといえば必ず行きます。それだけは必ずやるんですね。
写真展だけじゃなくて美術やっている学生の展覧会も行きます。美術好きだし、美術家の友達も多いから、どんな学生に対しても僕なりの知識で対応してます。
『イメージ』というのは無から生み出されるもので、写真は被写体がなければ成立しないから無からのものではない。だから写真は『イメージ』ではなくて『イリュージョン』だって思うんです。
たとえば、絵画とかは『イメージ』に近いですよね。写真以外を専攻している学生が写真をやることはとても意味があると思うんです。
『イメージ』と『イリュージョン』を行き来することは、すごく刺激的じゃないかと思います。
こんな感じで授業の中ではいろんな話をします。
このゼミでは僕のありったけでやってます。もうくたくたになって帰る(笑)
写真以外の専攻でいえば、卒業生に齋藤誠一君という学生がいて、彼はカメラの扱い方も知らないような学生だったけど、このゼミに来るようになってから写真をどんどん撮って、いまでは写真集も出すフォトグラファーになった。そんなこともありましたね。
熱意のある学生といっしょにいるとこちらも燃えるんです。
学生に啓発されることも多いです。そして何年経っても卒業生とはいまだに交流がありますね。
僕はね、君の方から「I hate you」って言われない限り付き合っていくよって言うんです。
ありがとうございました。
取材・文:首藤幹夫
◉ ゼミ履修に関しては以下の記事を参考にして下さい。
写真専攻ゼミナール案内