2012年4月17日 | category: speaks
「ケルテスの写真ははじめから成熟していて、世界がやっといま、その写真に追いついたのだ」。
この奈良原一高氏の言葉にはつよく共感した。
第二次世界大戦が終わって、世界中の国々が修復と再建に向かった。ハードな面ばかりではなくソフトな面においてでも、前向きと進歩、がその趨勢のおおむねのテーマだった。前向きと進歩主義と同時にそういう主義に異をとなえる流れも登場してくるが、写真においてはもう一つ、中立主義とはいわないが、何をいうべきかという思いとは距離をおいた、あるがままに世界を見つめる立場という役割に目覚める傾向が台頭してきた。非有用性に価値を見出す写真イズムの台頭である。非有用的であっていいというスタンスを取ることによってこそ、本質的な意味での有用性を発揮させることができる、という感覚である。非有用性の写真イズムとは、こんなふうに例えて説明できるかもしれない。
それは何かを写すとはそれ自体を写し撮るのではなく、何かの姿かたちを借りて別の何かを語ろうとすることへの嫌悪。荘厳な山岳とか、気まぐれな天候であるとか、呵責のない太陽とか、谷間にうずくまった村であるとか、そういう形容詞、すなわち隠喩を託す意思がなければ、作者には山岳も天候も太陽も村も目を引くものではなかったかもしれない。ある景色が悲しげだという言い方もある。その場合も景色は自分だけの悲しさをあらわすための道具でしかない。と、このあたりの話は旧来の文学作品を例にとってヒューマニズム(人間第一主義)を批判したヌーヴォーロマンの旗手の一人ともいわれるアラン・ロブ=グリエの書物の中の言葉からささやかれて思ったところのものである。ロブ=グリエはこうも書いた。「人間は世界を見つめるが、世界は彼に視線を返しはしない」 「ものの世界は、そうした(隠喩的な視線の)精神によってすっかり汚染されてしまうだろう」私はそのような言葉に、非有用性の写真の存在を重ね合わせた。大戦のあと、程なくしてたち興ってくる現代写真の潮流の一つはまちがいなくロブ=グリエ的な事物の<客観的>描写にこそ価値を見出す流れだと思った。
そういう中で、ケルテスの写真はその流れのさらに深層、伏流水のようにあったものだと思ったのである。世の中はようやくそのことに気づいた。ブレッソンもブラッサイもケルテスの写真にそのことを予感していたが、いまやっとみんなが気づくようになったのではないか、と、奈良原一高氏が宣言しているのだ、と、私は感動した。
さて肝心の「オン・リーディング」である。
この小さな写真集は後になって、さらに小さな日本版になった。(1993年、マガジンハウス刊)。ケルテスは1985年に90歳で亡くなっているが、この年には日本で個展を開催(プランタン銀座)。来日もしていた。帰米して、住んでいたニューヨークで急逝した。だからこの日本版には、日本での個展で関わった人たちのケルテスへの悼む気持ちがにじんでいるような趣がある。
ケルテスはたくさんの旅をした。写真家なら誰でもたくさん旅をするが、ケルテスはその旅をじつに豊かに過ごした人だ。取材だといって勇んであわただしく行き来することをもって満ち足りた気分になる並みの写真家とは基本的に違う。 どこへ行っても自分に都合のいい光景を探し回るのではなく、つねに自分の関心が先にあって、それも<テーマ>ではない関心であって、だからケルテスの写真集にはあちこちで撮った写真を見ながら、本という形式にして人に見せるために、ある関心の方向の近しいものをまとめてみただけ、という素っ気なさがつねにある。 要らなくなる写真はほとんどなく、というより撮っていなくて、つねに言葉を採集していて、写真集にするとはそれらの言葉を使って文章に仕立てるがごとき感じなのだ。
ビルの屋上で読書する男性や、豊かな住まいのと思われる一部屋の窓辺でレース越しに差し込む光を受けながら読書しているんだろう、と思わせる開きかけの本を置いたテーブルの写真、豊かな文化の歴史をもったところのとも思わせられる図書室の写真に続いて、三人の少年が一冊の本を頭寄せ合って見入っている写真・・・・。写真集冒頭のたった4点の写真なのに、場所はニューヨーク、コネチカット、パリ、ハンガリーのブダペストの北方すぐのところにある中世都市エステルゴン、と、離ればなれ、撮影の日時も1915年から59年にまで広がっている。
撮影の日時と書いたが、じっさいこの写真集には63点の写真が載っているが、そのうちの10点を除いてはすべてに<Sept.12.1943>などとその日付までがきちんと記されている。いまのExif情報と称される否でも応でも記録されるシステムの時代ではない。ケルテスがじつに写真に真摯に向き合っていた写真家だったかということをほうふつとさせる。
40年も50年も時間を隔てていても、ケルテスの写真は風俗的・時代的な差異を比較する関心を読み手に一切おこさせない。であるばかりか、ケルテスは写真がいまここにという瞬間をとどめているものであり、人の記憶はあやふやとなり、だから記録としての貴重な物件となると、まるでいまでいうアーキビスト然とした確信をもっていた写真家なのだということを想像させる。 子どもたちが頭を寄せ合って一冊の本を見ている写真についてだ。
きっと、真ん中の子がページの繰り係りで、その子もみんなと同じように本の中身にふけりながら「もう次のページへ行っていいかな」と一緒の友達の目の速度を気にしているだろう。一人の少年は革の編み上げ靴をはいているが、そしていいジャケットを着ているが、それもすでにくたくたで、おまけにズボンも裾の布は擦り切れている。あとの二人は裸足である。気まぐれに靴を脱いで放りだしたまま、とはとても思えない。そして、今の若者たちがわざと破れたジーンズをはいているのを見慣れている私にはどうということもないが、しかしそれがわざとのものではないことは直にあたりまえに分かるのであり、もう一人の裸足の少年のズボンもまたお下がりをもらったのかブカブカにして破れてもいるのを見定めると、なにか胸に迫ってくるものがある。
ケルテスはハンガリーの生まれだった。この少年たちを撮ったときは、オーストリア・ハンガリー軍に入隊し、軍務の合間に兵士仲間の日常生活を写真に撮っていた頃だ。ケルテス21歳の時のものということになる。
本を読む人々の姿にケルテスはどんな気持ちを興されていたのだろうか。写真集にあるなかで最も新しい写真は1970年撮影である。まだアマチュアだった頃から、名声を得た時期になっても、ケルテスは変わらぬスタンスで、目の位置で、本を伴侶とするかのような人々の姿を旅の途中で見つめ続けている。公園のベンチで、劇場の楽屋で、アパートのバルコニーで、文字を読めるようになっているのかなと思える子どもから、自力歩行も困難そうな老人にいたるまで、まるで食事をするかのように、いやもっと即物的に酸素を胸に入れるかのように、人間の命の要素を自然と取り込んでいる所作のように、人々は本を読む。ルーペをもって老眼鏡をなお補うように背を丸めて本を手にする老人の姿も、東京の神田神保町の古本屋外で写されている。
見方によってはとても意味にあふれた本だとも言える。ユニセフの広告写真にも使えそうな、無垢な子どもたちの輝くまなざしがその向こうに見える、ような気がする。 しかし、私はそんなふうに解釈することがいやだと思った。それよりも、自分の周りの眺めはいつもこんなふうに譬えに溢れているのであり、逆に言うと自分が譬えられる能力の範囲でしか見えていない、それが眺めというものではないかと、つまりそういうわが身を超えられない見る能力をそのまま受け入れることがいやになった。ケルテスのこの写真集はそういう気持ちももたらしてきたのである。 百聞は一見にしかず、というが、下手な一見より一生懸命な百聞のほうがいい。と、そうまで思ったこともあった。
ケルテスは見る行為を自分の解釈に沿わせてまとめあげること(編集)はしない写真家だと思った。見た断片を集めてくる写真家なのだ。それはどういうことかというと、たとえば雨粒がとまって見えたと想像してみてほしい。目を近づければその一粒、いや一滴には球形だから周囲のすべてが映りこんでいるのが見えるはずだ。一粒は粒子のような部分であると同時に粒子としての全体でもあるのである。喩えがうまくできていないようだが、要するに部分を全体の構成物と見るのではなく、一つ一つの部分それ自体が全体でもあるのだという確信を宿した写真家なのだ、ということを言いたい。一つの部分は他の説明のためにあるのではなく、それ自体の独立した価値としてもあるのだということを写し述べようとしているということ。
私はそのことをケルテスが高山で撮影する姿からも感じた。 ケルテスは1968年に来日。飛騨高山を地元の写真家・田中一郎氏の案内で撮影している。田中氏はその間中、ケルテスの様子を写真に写した。その写真がとてもいい。私はそれが頭にこびりついていて、のちになって高山に田中氏を訪ねることになる。それからかれこれ十年近く、田中氏が亡くなるまで、何度か高山を訪れ、季節ごとにおいしい高山のりんごや泥ねぎを送っていただくというようなお付き合いをさせてもらった。田中氏の写真についてはまたあらためて書いておきたいと思っている。
ケルテスはいつも三脚を持ち歩いた。町並みをじっと見るときには、あるいは人の表情を見つめているときには、すっと三脚を繰り出して、丁寧に、少しのブレも許すまいとばかりに、それは対象への敬意の表明であるかのように精緻に写し撮っているのが常だった、と田中氏に聞いた。田中氏の写真にも、三脚にカメラをつけて写しているケルテスの姿がたくさん残されている。とりわけ私は日盛りの坂道を三脚を持って登ってくるケルテスの写真がとても好きだ。その姿は、この人が撮る写真の世界を、見なくても分からしめる含蓄に富んでいる。
ケルテスの写真は、現代写真の主流であるべきだと私は思った。こんな小さな写真集がそのことを強く思わせてきた。ケルテスに比べると、ブレッソンですらその写真があざとく見える。そういう質の写真こそ、新しい写真の範となるべき、私のバイブルになるべき写真だと思った。それを見抜くように書いた奈良原氏の文章に私は目を見張ったのだと思う。(2012年.4.15.記)